発達障害の中でもいちばん気づかれにくい「学習障害」。
なぜなら、それが「障害」ではなく、「ただ単にお勉強ができない」で片づけられてしまうから。
顕著な学習障害の症状がある場合は、学習が本格的に始まる小学校入学以降に気づかれることが多いのですが、そのような子どもは一部と言えます。
学習障害が軽い場合には、3年生4年生になってようやく気づかれるというケースも珍しくありません。
それどころか、中学生になってから、大人になってから…というケースもあるのです。
つまり、お勉強が苦手だった人の多くが、学習障害による困難を見過ごされ、何のトレーニングも受けることなく学童期を過ごてしまうのです。
小学校の場合、隠れた学習障害の子どもを含めるとクラスに1割以上いると言われるほど学習障害はポピュラーな障害です。
にもかかわらず、なぜか学校では、その子どもたちに対して こまかな支援や対策がとられていないのが現実なのです。
- 本当に学校は、学習障害の子どもを見過ごしているのでしょうか?
- なぜ学習障害の子どもの困り感は気づかれにくいのでしょうか?
今回は、そんな学習障害の子どもたちのおかれている「現実」についてお話させて頂きます。
学習障害の小学生は症状の個人差が大きい
小学校に入学したての頃は、同じ学年であっても、4月生まれと3月生まれ、家庭の環境、家族構成、また男女の性差など、いろいろな要因で個人差が見られます。
たとえば、上に2人のお姉ちゃんがいる4月生まれの女の子と、長子で運動が大好きな3月生まれの男の子。
きっと自分の名前を書かせたら、かなり差があることでしょう。「字」という側面だけみても、かなり個人差があるのは想像できますよね?
字に限ったことではなく、このように子どもは年齢が低ければ低いほど、さまざまな側面で個人差がみられます。
学習に関する場合、それが障害の特性が原因なのか、ただ単に環境要因や成長の個人差によるものなのか。
それは、学校でも早急な判断が難しいことがあります。
実際、低学年のうちは内容がそれほど難しくないので、ある程度のくりかえし学習で克服できることも多いのです。そのため、学習障害があるとは気づかれにくいのです。
また、学習障害という言葉を知らない先生はいませんが、学習障害の症状や特徴、そのトレーニング方法に関することまで、こまかく知る先生は意外と少ないです。
お勉強が苦手な子という認識はあったとしても、学習障害があるとは思わない先生も多くいます。
先生は教育のプロではありますが、決して全員が「発達障害のプロ」というわけではないのです。
学習障害は障害の症状から、主に3つの種類に分けられます。
- 読字障害(ディスレクシア)
- 書字表出障害(ディスグラフィア)
- 算数障害(ディスカリキュア)
読字障害(ディスレクシア)は、読むことに困難があることです。
ただ、たとえ障害があったとしても全く読めないわけではないんですね。
書字表出障害であっても、全く字を書けないわけでもない。
算数障害では、読書感想文で賞をとるレベルなのに、数の概念が全く理解できなかったケースも過去にみたことがあります。
苦手という範囲なのか、障害なのか…。
その違いに、いかに早く気づけるか。そして、いかに早く対策をするか。ということが、今後の伸びに大きくかかわるのですが、特に低学年の場合は先生でもその判断が難しいことがあります。
学習障害は、ある日を境に突然「障害」になるわけではありません。元々もっていた特性が、学習がはじまることで困難を生じ、気づかれます。
障害が顕著な場合はすぐに分かる場合も多いのですが、症状が軽い場合は、学年があがるにつれて学習障害の可能性を疑われる場合も多いのです。
障害とは思われず学童期を過ごしてしまう子どもが半数以上です。
学習障害の小学生は先生を困らせる存在ではない
子どもを数人もつお母さんなら分かると思いますが、子どもはひとりひとり性格も違えば、行動も違いますよね?
下の息子はやんちゃで喧嘩ばっかりして困るわ。勉強もまったく…
こんな場合、お母さんの心配ごとは下の子どもが中心になってしまいます。気持ちがどうしても下の子どもに向いてしまいますよね。
どうしたらお友達と仲良く過ごせるのかしら?勉強に興味がないから、スポーツクラブにでもいれようかしら?と対策をいろいろ考える方もいるかもしれません。
じつは、学校でもこのようなことがおきるんですね。
先生の場合は「心配ごと」というより「困りごと」という表現の方が分かりやすいかもしれませんが。
先生も同じように、困りごとの多い子ども、つまり困り感が強い子どもと そうでない子どもがいる場合、どうしても困り感の強い子どもに気持ちが向きがちです。
実際、学校では困り感の強い子どもの対策が優先されがちです。
授業中に席を立ち歩いて友達にちょっかいをかけたり、教室からとび出したり、友達にすぐ手を出したり、暴言を吐いたり。
授業の中断や、他の子どもを傷つけてしまう子どもの場合は、先生にとって「困り感の強い子ども」と言えます。
先生も何とかこの困った状況から脱したいと思うため、早急に対策を考え、行動にうつします。
場合によっては学年の先生や他の学年の先生と連携して、学校全体で解決に向けて取り組むこともあります。
一方、学習障害もしくは学習障害の傾向のある子どもの場合はどうでしょう。
授業中は座っているし、お友達とも仲良く遊んでいるし、楽しそうに学校生活を送っている。
学習障害の子どもの困りごとは個人的なことで、先生や周りの子どもたちにとっての「困り感」は全くありません。
学習障害の特性があったとしても、それをカバーする長所がいっぱいある子どもほど、本人の「困り感」は見過ごされやすいのです。
学習障害です!と言えない先生の事情
うちの子は他の子に比べてお勉強ができない気がするけど、先生が何も言わないから大丈夫なのかなぁ?
そんなふうに思っていませんか?
先生が何も言わないから大丈夫
これは、大きな間違いです!
前章でもお話したように、学習障害の子ども(特に、障害を重複せず学習障害だけ)の場合は、勉強以外ではあまり問題を感じません。
そのため、保護者が何も言わなければ学校側の対応も遅れます。
先生に学習障害を断言する権利はない
先生は医師ではありません。
たとえ、「この子、学習障害の傾向が強いなぁ~」と確信に近い思いをもっていたとしても、「うちの子、学習障害ですか?」と保護者の方にストレートに聞かれたとしても、
「あなたの子どもは学習障害ですよ!」と断言する権利は先生にはないのです。
それを言えるのは専門の医師だけです。
もちろん、学習障害の疑いがある場合、親に何も伝えないわけではありません。
ただ、伝え方がすごく難しい…。
学習障害を疑っている保護者は話がすすみやすいですが、そうでない場合はとても難しいんですね…。
とくに、保護者が子どもの学習にあまり関心を持っていない場合や、「いつかできるようになるんじゃないか?」、「ただ勉強ができないだけでしょ」と、わが子が学習障害とは全く思ってもいない場合、オブラートに包んだ言い方にならざるを得ません。
学習が定着しないのは障害の特性が原因かもしれないという、その可能性を少しずつ伝えなければならないのです。
学習障害であることを受け入れ、障害を克服するためには家庭での協力が欠かせないこと、また特別なトレーニングが必要であることなどを保護者の方に理解してもらうためには時間がかかってしまうのです。
学習障害の子どもを支援する機関が少ない
わが子が「学習障害かもしれない」という事実をつきつけられれば、かならず親は傷つき、不安になります。
学習障害の傾向があることを伝えるだけでは、あまりにも無責任ですよね。
そのため学校は、具体的にどういう対策をして、どうやって克服していくか、そういうフォローを含めて話す義務があります。
ただ、ここで厳しい現実があります。
それは、学習障害の子どもたちをフォローする受け皿が少ないということです。
学習障害の子どもには、普通の授業ではなく個別の指導やトレーニングが必要になります。
このような指導をしてくれるのが、「通級指導教室」、略して「通級」と呼ばれるものです。
通級が自校にない場合は通う必要があります。
- 時間的なロス(仕事をしている場合、誰が送り迎えをするのか?という問)
- 差別や偏見を持たれていじめにつながるのではないか?という不安。
通級へ行くことを「現実的ではない」と思われる方も多く、安易に提案はできません。
しかも通級に通える子どもは学習障害の顕著な子どもが優先されるため、学習障害の傾向があるからといって、必ずしも通えるとは限らないのです。
このような状態は日本のどの地域でもみられます。
たとえ学習に困難があったとしても、場合によっては、その事実を積極的に親に伝えられない事情があるのです。
通級を利用したいけど、いったい通級指導教室って何を教えてくれるの?どんな子どもが通う場所なの?うちの子は通わせた方がいいのかしら?こんなふうに、さまざまな不安や疑問をお持ちのママに、通級指導教室について分かりやすく解説します!
発達障害の小学生をもつ親がすべき対策とは?
子どもは勉強ができなくて困っていたとしても、「困ってる」「助けほしい」「できるようになりたい」などと、心の内を強く伝えることはできません。
年齢が上がれば上がるほど、その素直な心は隠れていきます。
それどころか、自分はダメな人間、どうせできない、と自分に自信をなくしてしまうことの方が多いのです。
足が人より遅かったり、視力が悪かったりしても「自分はだめな人間」と思うことはないでしょうが、学習に関しては自己肯定感が下がってしまう可能性が高いのです。
学校は何も気づいていないことはありません。でも、学校の力だけでは支援の必要な子どもすべてをフォローすることもできないのです。
学校に依存するだけでは困難を克服するまでには至りません。教材や塾など、そこだけに頼ってしまうのも問題解決にはなりません。
もちろん、適切な教材を使って、一緒に困難を克服しようとする姿勢がある家庭であるならば、教材いいですが…。
高額なものも多く、すべての方には難しいといえるかもしれません。
まずは、学校の教科書が基本。
学習障害の克服には、家庭の協力が絶対に欠かせません。
- 子どものために何とかしてあげたい!
- 自分が何をすればいいのか知りたい!
このような思いをもち、積極的に学校に伝えましょう。必ず手立てが見つかるはずです。
また、専門機関とつながることは将来的なことを考えてもかなり大事です。
どんなことを家庭で取り組めばいいのかということも具体的に教えてくれます。
いつかできるようになるかもしれないから。
いつか。それは、いつでしょう?
子どもはあっという間に大きくなります。1日1日の取り組みが大きな差を生むのです。
今、動きましょう。
漢字が読めない、書けない、計算ができない…
勉強ができるか、できないか。それで、人間の価値が変わるわけではありません。でも、学童期の子どもにとっては、とても辛いのです。
放っておいては自信をどんどん失ってしまいます。
子どもが自信をもてるようするために、親が「今」なにをすべきか。その1点に全力を注いでください。
子どもの「今」は、あっという間に過ぎ去ってしまいますから…
算数の苦手を克服したい!学校の授業についていけない、学年相応の学力がない…。そんな子供たちにこそ適している学習タブレット。算数が苦手な娘の【RISU】体験談と率直な感想、また、学習に苦手を抱える子供のタブレット学習によるメリットについても解説しています。
おわりに
私が3年生の担任をしている時、個人懇談でとても印象的だったお父さんがいます。
大工をしているその若いお父さんは、顔から指先まで日に焼けていて、ムキムキの腕にはタトゥー。耳にはピアスがいっぱいついていました・・・
個人懇談にお父さんが来るというのは結構めずらしいことなのですが、その格好と子どもとのギャップに(子どもは色白で華奢な女の子だったので…)一瞬「お!」と驚きましたが、お父さんはあいさつもそこそこに
「先生、おれ。漢字とか2年のとかで もう読めねーし、書けないんですよ。」と…。
じつは、その子どももまた同じような状態で、これまでに習った漢字もほとんど忘れ、簡単なものしか書けないし、カタカナでさえ「ツ」「シ」などの区別がつかないことも…。何より、字の書き方に特徴的なものがありました。
学習障害の子どもの親もまた学習障害…。そのようなケースは珍しくありません。(もちろん、どちらも医師の診断が下りていなければ断定はできませんが…)
多分そのお父さんも子どもの頃、苦労したのかもしれません。
このような場合、自分自身も子どもの頃はまったく勉強ができなかったから、自分の子どもが勉強できなくて当たり前。と、あまり子どもの教育や障害に関心をもたれない方や、仕方ない、とあきらめている方も多くみられます。
でも、お父さん。
「たぶん、○○(子どもの名前)学習障害だろうけど、自分が〇〇のために何かできるんなら、してやりたいし。家でどんな勉強させたらいいですか?」
と、たずねてきました。
正直、びっくりしました…
じつは、親も学習障害の可能性がある場合、家庭での協力はあまり期待できないことが多いのです。自分が教えるということが難しいというのもありますが、親自身が子どもの能力を伸ばしてあげたい!という意識を持たれる方があまりいないので…。
だから、お父さんの言葉はすごく嬉しかったです。
お父さんは娘に教えるだけじゃなく、自分も一緒にがんばってくれました。
毎晩、勉強に付き合ったんですね。
その努力には脱帽です。
その2年後。たまたま運動会の時にお父さんが役員をされていて、話す機会がありました。
「先生、おれ4年まで漢字読めるようになったよ。すごくね?次、5年いくわ!」
と。
お父さんの前向きな姿勢をしっかりと受け止めて成長した子どもの〇〇ちゃん。
なんと、6年生の時には児童会の役も務めました!
人前で堂々と話す姿。
すばらしかった
学力をつけることより、ずっとずっと難しい
自分に自信をもつ、ということ。
お父さんの努力と前向きな姿勢。日々の関わりや積み重ねのおかげで、しっかり育まれていたのでしょうね。
どんな大人になるのかな?
きっと、素敵な女性になるんでしょうね…。
また、大人になったら会いたいな、と思います。
ひまわり
何度も漢字の練習をしても書けるようにならない!もしかして、そのくり返し学習は間違っているかもしれません。学習障害の小学生は勉強法を誤ると勉強が嫌いという思いだけが膨らんでしまいます。一人一人に適した勉強法を見つけ家庭で実践していけば、必ず障害の困難を克服することはできます!